010620
福井豪雨:NPO水害災害対策掲示板:災害ボランティア掲示板

福井水害に関する情報交換を行っております。
  • 当掲示板では、H16年福井水害にて情報交換された内容が掲載されています。
    今後、何かの参考になれば・・・と思い、readonlyにて掲載させていただきます。

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    高床式住宅で浸水対策の提案 投稿者:モネの家 投稿日:2005/03/16(Wed) 10:11 No.151   HomePage
    水害に会われた方々は本当にたいへんであったこととお見舞い垂オ上げます。水害の後始末はご苦労様でした。地盤の高いところに住むのが究極の対策と思われますが、別の対策の一つの案として高床式住宅を提案します。
    高床式住宅で水害や湿害を避けることは昔から世界各地で行われている定番の対策のようです。
    http://www.k3.dion.ne.jp/~monet/


    教えてくださーい☆ 投稿者:あらら 投稿日:2004/12/03(Fri) 14:23 No.121  
    うちの学校の理科で、「水害対策はどんなのがあるか。」というのをやっています。 みなさんの知っている水害対策の、名前と、どういうものか、を、教えて下さい。        お願いします。 


    新潟中越地震「現地発」情報 地域別整理blog 投稿者:ぱそぼらねっとF 投稿日:2004/10/28(Thu) 21:00 No.110  
    支援に向かわれる方、支援物資を届けたい方は、
    必ず現地の最新情報をお確かめください。

    山田さんの新潟中越地震「現地発」情報 地域別整理blog
    http://blog.livedoor.jp/taroatwork/



    【テントが宝ものなんだ】 投稿者:ぱそぼらねっとF 投稿日:2004/10/28(Thu) 20:57 No.109  
    ***********************************************************************
    ★グローバル・ピース・キャンペーン★
    OPEN-J BOOMERANG 468【テントが宝ものなんだ】
    ***********************************************************************
    ■転送・転載・大歓迎■

    ■山田和尚■

    今回の新潟中越地震の件について、【楽市楽座】をやってくれた加藤くんと連絡
    がつき、全国各地からテントを送ってもらおうと言うことになりました。神戸の
    震災の時もそうだったのですが、被災地ではいくら寒くっても余震の怯えから建
    物の中で寝るということがなかなか出来ない現状にあります。そこで友人、知人
    と相談して出来るだけ多くのキャンプ用テントを送っていただけないでしょうか。
    今日現在で不足している物に関しては、ご安心ください。一両日中に各方面から
    支援が届きはじめることになるでしょう。その時点でも不足するのがテントです。

    テントを送っていただく時に、一度組み立ててみるようにしてください。不足し
    ているポールがあるかもしれないからです。それとご自分で応援の手紙も添えて
    頂くようにお願いします。この手紙こそ心の支えとなり、冷え切った心の湯たん
    ぽになるからです。そうそう、手紙の中に「身近にあるペットボトルにお湯を入
    れて、衣類を巻いて湯たんぽ代わりにしてください」という一文も忘れずに…。

    今夜、日テレ系で放送する『たったひとつのたからもの』を是非観てください。
    秋雪くん役の翼くんもがんばってくれています。みんなで励ましあって『生きる』
    という宝ものを大切にしていきましょう。
              ・・・雪の旭川から(北海道の残りの上映会があと6回)

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    ◆加藤寛明◆

    全国の皆様、7月の三条市の豪雨災害の時の楽市楽座へのご協力、大変ありがと
    うございました。皆様からいただいた気持ちを、被災した方々に届けることがで
    きたと思っています。しかし、まだ豪雨災害の後片付けも終わっていないところ
    もまだあり、余韻が消えないうちに今回のように新潟県中越地震がおきてしまい
    ました。

    私は、地震発生当時、大和町という一番被害の大きかった小千谷市から車で南へ
    1時間、藷町市から山を挟んだ東側にいました。上越新幹線では、「浦佐」と
    いう駅のあるところです。そこには国際大学という、世界中からの学生の集まっ
    ている大学院があり、私は寮に住んでいる友達を訪ねていました。

    6時少し前に、出かけるために鉄筋5階立ての寮の1階に下りてきたところで、
    激しい揺れを感じ、走って外の駐車場へでました。停電で真っ暗になり、揺れは
    長い間続きました。40〜50秒だったということです。

    月と星が明るい夜で、すぐに寮や学校の校舎から、学生たちが走ってでてくるの
    がわかりました。その後、立て続けに2〜3回の激しい揺れがあり、寮も停電し
    ていたため、中に入ることは非常に危険だったため、学生たちはテニスコートの
    脇の芝生に自然と集まりました。

    私の住んでいる三条と違い、新潟県の南側は非常に寒く、今にでも雪が降りそう
    な寒さで、凍えるほどでした。学生たちは木を集めて火を燃やし、歌を歌って寒
    さをしのぎ、電話や車のラジオで安否の確認や情報収集をしました。そして、震
    源がとても近く、まだまだ大きな余震が続くことがわかりました。

    週末だったので、学校の職員はいなかったのですが、4時間後の夜10時過ぎに、
    体育館に発電機が持ち込まれ、ランプをつけ、そこを避難所としました。

    懐中電灯を持っている者を中心に、寮のフロアごとにグループをつくり、毛布や
    上着などをとりにいきました。そのときには月も沈んでいて、寮の非常用のライ
    トも消えて完全な暗闇で、激しい余震も断続的に襲っていたため、5階建ての鉄
    筋の建物に入るのはとても怖いものでした。

    体育館では柔道用の畳や体操用のマットを敷き、みんなで身を寄せ合って寝まし
    たが、寒さと頻繁に襲ってくる余震のため、みんなほとんど眠れないようでした。

    翌日も、トンネルの陥落や土砂崩れ、道路の陥没のため、私は三条に帰ることが
    できずに、大学に滞在していました。電気は回復して、寮の部屋にも戻りました
    が、余震が続いているため、いつでも出れる準備をし、食事をしていても、話を
    していても扉を開ける音や、足音、イスを引く音などが聞こえるだけで、ハッと
    するほどおびえていました。その日も体育館で寝て、朝に震度5くらいの大きな
    余震があったときは、寝ていたにも関わらず、ほとんどの人が飛び起きて外に逃
    げました。

    私は今日、新潟の南側を経由して三条にかえってきましたが、学生たちは、食べ
    物もコンビニにほとんど何も売っていないため、学校から支給されるパンやイン
    スタントラーメンを食べ、体育館に布団や教科書、パャRンを持ち込み、勉強し
    ています。

    大和町にいたときは、情報がなかったため、自分の周りのことしかわかりません
    でしたが、三条へ帰ってきてテレビを見ると、小千谷などの震源地付近や山村で
    は、かなりの家が崩壊し、入りきらないくらいの人たちが避難所で生活をしてい
    ることがわかりました。

    そして、避難所に入りきらない人、入りたくない人、余震の恐怖で建物に入れな
    い人など多くが車の中などの外で生活していることがわかりました。家にいる人
    も、大学の寮でそうだったように、いつ激しい余震がくるか、おびえながら生活
    をしています。そして、とても寒いです。

    そこで、みなさんに、三条の豪雨災害のときのように、お願いしたいのですが、
    自宅に眠っているテントを送っていただけないでしょうか。明日にでも雪が降る
    寒さですので、外で生活している人たちには、寒さしのぎになります。避難所で
    生活している人たちにとっても、避難所は混雑して、着替えなどでも仕切りのま
    ったくない体育館のため、プライベートが保てません。テントをどこかに張るこ
    とができれば、そこで生活をしたり、着替えなどのプライベートを確保すること
    ができると思います。そして、避難所に来ていない人でも、余震の恐怖で家の中
    に入れない人たちにとっても、庭などの広いスペースのあるところにテントを張
    ることができれば、少しは安心できると思うのです。すでに家の中に入っている
    人にとっても、また何かあったときのために、持っているだけで安心することが
    できると思うのです。どうか、送ってもいいというテントを持っている方はご協
    力お願いします。

    送っていただいたテントは、被害の範囲が広いため、配れる範囲からでも配らせ
    ていただこうと考えています。また、配りに行くのも、一人では配れる時間も行
    ける場所も限られているため、車を出せて被災地に行ける範囲で配りに行ける方
    にボランティアで協力していただけるようにお願いします。

    今回は送っていただくものをテントに限ってお願いします。送っていただく前に、
    ご面倒かと思いますが、一度組み立ててから送っていただけるようお願いします。

    【送り先】は、クロネコヤマトの宅急便で、「三条支店止め」でお願いします。
    受け取り人名:加藤寛明 電話番号:090−4848−9954
    また、活動資金として寄付金のご協力もお願いします。
    【振込先】郵便振替:00980−5−12290 オープンジャパン
    通信欄に「中越元気村」とお書き下さい。的確に使わせていただきます。

    明日にでも雪が降るという藍もあるため、今週末には一回目を配りに行きたい
    と思います。ご協力、よろしくお願いします。
    加藤寛明:hiroakikato.com

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    ◆草島進一◆

    10月26日火曜日 午前9時 小千谷市より

    10月24日 日曜日、午前10時。新潟に向かう。神戸で一緒に活動した有志
    で新潟で炊き出しをしようということになり、食材、鍋、五徳、ガスボンベなど
    を調達。500人分ぐらいの「元気鍋」をつくろうという計画。

    高速は新潟から乗り、三条止まり。三条のプロパンガス屋、「コメリ」でガスボ
    ンベ調達。今朝、小千谷までいってきたという店員のひとりが、小千谷まで行く
    道のりの険しさと、通常の8号は途中までしか行けないことを教えてくれる。山
    川の道に迂回しないといけないということ。それをたよりに車を走らせる。

    途中、4輪駆動でもがっくんと乗り上げる亀裂や、かなりの上下運動を伴う路線
    のうねりを感じながら小千谷を目指す。結局小千谷に到着したのが午後7時をま
    わった頃。市役所内の災害対策本部に行く。役所職員と報道機関の人間で本部は
    ごった返していた。当日朝9時から入り諸々の現地状況を調査していた市村浩一
    郎氏が迎えてくれた。壁にはびっしり、被災者の情報、道路情報、倒壊家屋、避
    難場所などを書いた紙がはってあった。

    情報はまだどんどん変化している。避難場所は、約2千人避難しているという総
    合体育館をはじめ、公的建物の他に自主的に空き地や駐車場単位で固まって暖を
    とって、休んでいるところがあり、この状況については詳しくは役所では把握で
    きていないようだった。ただし救援物資を平均して配る必要性があるため、その
    把握について、役所も苦労しているようだった。

    夜、停電で信号も街頭も付かないまっくらな街のところどころに、食事をしたり
    暖をとるたき火の火が見えた。そして多くの人が車の中で寝ている。

    現場にはいって突然何回か余震があった。結漉hれる。震度3〜4ぐらいは日常
    的に「あ、またか」という感じでおきている。

    災害対策本部で情報収集しているとそのうち元神戸元気村の吉村誠司君が到着。
    彼は、豊岡の水害現場でカヌーでの救出作戦をおこない、豊岡のボランティアセ
    ンターの立ち上げを行った後、新潟に向かってくれた。600キロの道のりを走
    って来てくれた。

    夜、災害対策本部で避難所の状況や物資の状況、そして次の日の炊き出しをする
    場所を確認するための打ち合わせした。孤立してほとんど着の身着のままヘリに
    乗って避難するしかなかった山古志村の方々が避難しているという小千谷高校の
    体育館がいいのではというアドバイスをうけて、そこで行うことに決定。周辺に
    いた報道各社に手書きリリースを手渡す。

    深夜、吉村氏と一緒に周辺を調査する。幹線道で地割れがおこり1メートルもの
    段差ができているところがあった。倒れている電信柱。斜めに傾いたアーケード
    や電信柱。雪国で家が強いせいか倒壊家屋の数は神戸には全然及ばないが、とこ
    ろどころに震度6強という地震の強さを物語る跡が見られた。

    ●震度6弱の余震
    25日月曜日 朝、午前5時ごろ震度6弱の地震にたたき起こされる。月曜日の
    朝の余震6度弱 と聞いたが、荷物満載のワゴン車の運転席と助手席で、市村氏
    とともに車の中で仮眠をとっていたのだが、直前に目が覚めて、ぐぐぐと下から
    突き上げるような揺れを感じ、30秒ぐらい、電信柱、建物がみしみしと揺れ、
    ばらばらと小さな破片が落ちた。結鵠害がまた増えたのではないだろうか、と
    いうぐらいひどい揺れだった。また驚いた。

    ●山古志村からのヘリでの被災者の方への「元気鍋」
    朝から炊き出しの準備。下見にいくと大体200名ぐらいの方が体育館にいらし
    た。外での炊き出しになる。雨がちょっと心配だった。うーむ屋根かということ
    になる。テントは準備していなかった。あれを使おう。と吉村氏が指さした。サ
    ッカーゴール。それにビニルシートをかければいいじゃないか、ということにな
    った。そうなったら、そこにいる人の動きは素早かった。あっと言う間にサッカ
    ーゴールを運び、シートかけが終った。立派な屋根ができた。その後、6人集ま
    った神戸、埼玉、山形、の有志で、大量の里芋や10キロの豚肉などを現場にお
    ろし、地元の人にも呼びかけて一緒に準備をはじめた。

    早速おばさんたちが、みんなで芋の皮むきをはじめてくださった。男性は火の番
    をしてくれた。とても結束の強さを感じた。どんどん料理をする輪がひろがって、
    用意していた包丁の他にもどこからか調達した包丁をもって、どんどん芋煮つく
    りの輪が広がっていった。持っていった里芋、じゃがいも、にんじんなど全部皮
    むきが終わり、煮込む。

    お昼になりようやく完成。差し出して「ありがとう」といって受け取って「ああ、
    あったかいものはいいね」と思わず涙ぐむご老人がいた。みんな満面の笑顔だっ
    た。1回目で大体200食。あっという間になくなった。その場で「おいしい、
    おいしい」といって平らげていただいた。良かった。

    神戸元気村のはじめの活動が、「元気鍋」だった。「元気鍋」の特徴はただ、ボ
    ランティアだけで完全に全部やるというよりも、被災者の方にもよびかけて、み
    んなで鍋をつくろうという炊き出しだ。そのやり方を行うと、鍋と燃料と食材さ
    えあれば被災者のみなさんの力によって炊き出しを続けることができる。

    こうするとボランティアスタッフは次の火付け役にまわることができる。これが
    「元気鍋」だ。当時の元気村では炊き出し隊長のとーる氏(現四万緒m)を中心
    に神戸ではほぼ3月末まで炊き出しは毎日続いた。2月ぐらいには一日7千食を
    越える炊き出しを数ヶ所でやっていた。神戸のときも、兄を失い、家も倒壊して
    しまった方なのだけれど「今、がんばらんと」と毎日懸命に鍋づくりをしていた
    だいた方がいた。包丁を持つことで元気になるお母さん達もいた。炊き出し一つ
    でもいろんな知恵をつかえば「元気」になれる要素がある。

    「元気鍋」方式により鍋も野菜の残りも五徳も、濫ボンベ付きでプロバンガス
    ボンベもこの方式で避難所に置いてきた。とにかく今、炊き出しがトップニーズ。
    現地に入るのは何人でもいい。ガスボンベ、水、大きな鍋、大量の野菜をもって
    グループ単位で、現場に駆けつけてほしいと思うのだ。

    地震翌日25日午前9時から現地にいて、いろいろ情報を提供してくれた市村氏、
    そして、豊岡水害から駆けつけた吉村氏と炊き出しを終えてその後、数ヶ所の避
    難所にいってみる。約3千人もの方が避難されている総合体育館。超巨大な体育
    館に3千人が地べたにそのまま毛布を敷いて、雑魚寝状態で休んでいる。お年寄
    りが毛布にくるまって休んでいるのを見たが、これはたまらない光景だった。

    神戸のときもそうだったけれど、寝顔からなにからなにまで隣人同士、すべて見
    通せる日常、まさにプライバシーが全く確保できない日常というのは、気が張っ
    ている3日間ぐらいだったらまだいいかもしれないけれど、これが長期となると
    心理的負担がすごいと思う。神戸のときは段ボールなどで壁をつくって、空間を
    確保したりすることもあった。今、こうしたこともあってかそれぞれの車の中で
    避難している人がたくさんいる。でも車の中で眠るといってもみんな大きなバン
    にごろんと寝ているわけではない。全部確認したわけではないけれど、多くは座
    席も倒さずにとにかく眠れればいいということで仮眠をしているといった感じだ
    った。報道によれば、車で避難していた人の2名が疲労のため死亡したというこ
    とでもあるし、この状態も長期的には結高ォついと思う。ところどころの公園な
    どにテントを張る方もいたが、数多くは見かけなかった。

    26日、朝ももう一度この総合体育館に行ってみる。朝の朝食の配給にほぼ千人
    ぐらいの長い列ができていた。その列はロビーを2周し、体育館の中心にどーっ
    と伸びていた。やっとのことで朝食のおにぎり、パン、バナナ、などを受け取っ
    て、避難所の中や車、家にもどっていく。ここにあったかいみそ汁の炊き出しが
    あったらいいに違いない。

    トイレ、給水車にも列。水洗トイレの水はもちろんでない。昨晩、鶴岡から女性
    ボランティアが到着したが、彼女が確認すると女性トイレは流す水もなく、便器
    は大変な状況だったということ。朝になると掃除もされていてバケツの水も用意
    されていたようだが、トイレの水をどうしているのかと思ってよくみていたら、
    バケツの水をもった男性がトイレにはいってきた。水をよくみると色がついてい
    るようで「どこの水か」と聞いてみた。すると「となりのプールの水です」との
    ことだった。

    ●ボランティアセンター立ち上げ。とニーズの告知。
    炊き出しをおこなった25日、午前10時からボランティアセンター立ち上げの
    ミーティングがあり1時間ほど出席。吉村氏とともに刻々と変わるニーズを被災
    地外に伝えるホームページの有効性、「元気鍋方式」の炊き出しなどについて提
    案した。センターは27日より受付開始。HPは小千谷市広報の方と打ち合わせ
    をし、ページ上でボランティア情報として、今現在は、炊き出し歓迎として募集
    告知し、後に独立ページ完成後にリンクしてもらうようにした。
    http://www.city.ojiya.niigata.jp/whatsnew/jishinv.html

    今朝はどんよりと曇り雨がぱらついている。気温も低くフリースを来ていても肌
    寒い。これから冬にむけてどんどん寒くなる時期。当面はあったかい炊き出しと
    避難所にいる人たちがどうしたら快適になるかに知恵をしぼらないといけないと
    いけないと感じている。

    朝、もう一度、山古志村の方々が避難している小千谷高校の避難所へ。がらんと
    しているので聞いてみると、村で地震で亡くなった子供と最期のお別れでみんな
    見送りにいっているとのことだった。「もどってきたら、また昨日のようにみん
    なで鍋つくります。ありがとう」とまとめ役の男性が言った。

    寒さにふるえ、巨大な体育館に雑魚寝している人々の姿を思い浮かべていただき
    たい。特にご老人の姿や子供たちの姿を。今こそ愛をもって知恵を絞り、行動を
    おこすときだ。一人でも多く、動き出そう!

    ●くれぐれも現地に向かうときは交通安全、段差などに気をつけて!

    なお、現地画像データは<http://www.kusajima.org>に、掲載します。

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    岡山県おおたき様より 投稿者:ぱそぼらねっとF 投稿日:2004/10/26(Tue) 21:46 No.108  
    【小千谷より】
    地震発生の初動の3日間に何ができるのか?
    今回の新潟地震は、神戸の時と違い、余震で震度6が何回も
    発生するという強力なものだ。余震で倒壊し、人が生き埋めになるかも
    しれない。

    神戸では、東京から到着したのが4日目だった。
    台風で洪水した豊岡市から、ボランティアを引き継ぎ、
    やはりすぐに現地に向かった。
    台風での通行止めや被災渋滞を抜け、新潟県小千谷市に入れたのは、
    出発して11時間も経っていた、24日夜20時過ぎ。

    一般車両は、北陸道の柏崎インターで降ろされているが、緊急車両は
    長岡まで通してもらえた。(警察などでの緊急証明書が必要で、関越方面からは
    実は小千谷ICまで入れる)
    柏崎から長岡までの高速道路は、あちこちで浪打ち、亀裂、土砂流出での
    陥没があり、対面通行になりながら、ゆっくりと進む。
    あたりは、真っ暗で工事車両が行き交い24時間体制で復旧工事を行っている。

    長岡インターを降りると、国道8号線のガャ潟塔Xタンドやレストランのガストは
    営業をしていた。「被災地内は、ガャ潟塔Xタンドが長蛇の列だ」という情報に
    手前で入れてきていたが、ここでも給油できそうだった。

    長岡市内より、高崎方面の17号線に入ってゆくが、橋と言う橋は、
    5センチから10センチの段差があり、直後で突っ込んだと思われるパンクした
    車両が路肩に目立つようになる。
    この段差は、緊急工事のアスファルトで埋められているが、液状化で道路一体
    が陥没していった感じで、線路も波打っている。

    小千谷市内に入ると、全半壊した家が始まる。
    道路の中央には、雪を溶かすための散水装置があるが、その中央の線で大きな
    亀裂が入っており、これからの雪を思うと、また大変だろう。

    小千谷市役所内にある災害対策本部で、神戸元気村時代の同士だった山形の
    草島進一(通称スターン)、元阪神淡路コミュニティ基金の市村浩一郎
    (なんと今は、民主党衆議院議員)に合流した。市村氏は、たまたま党の視察で
    新潟にいたそうで、連絡があったので、「是非、小遂u迺Jに入って会おう」と話をして
    いた。
    被災地に似合わない背広姿で情報を党本部にも送ってがんばっていた。

    道々で、焚き火を囲んだり、車やテント、車庫で寝ている方々が目につく。
    みんな撫には不安と疲れが現れている。

    ●被災者生活再建支援法
    鳥取西部地震の際にも、神戸の地震の後で3年以上かかって出来た法律の
    支援の適用が、所得や年齢で差があるが、全壊家屋のみだ。
    「住めない半壊家屋で取り壊すケースもあり、罹災証明を出す前に、ちゃんとした
    判断をしないと、もらえる支援も無くなってしまう!」と災害対策本部の罹災証明の
    担当者に話をする。鳥取の日野町では、当初9軒(調査初め段階)の全壊判断が、
    最終的には129軒まで増えた。

    「まだ、孤立している地域もあるので、是非参考にしたい」と疲れきった撫で
    話してくれた。災害本部には、全国からのマスコミが殺到し、市役所前の駐車場は
    マスコミの中継車や、黒塗りタクシー、ワゴンタクシーで埋め尽くされているのが、
    気になる。支援車、物資輸送車が入る場所の確保が求められるので、物資担当者にも
    対策本部以外での物資基地を決めて、内容によって振り分けるように、アドバイスを
    した。昨日、乾パンが大量に届いていたが、乾パンがのどを通るような状況ではな
    い。


    26日現在、34市町村で、約9万8千人が避難している。
    7市町村53箇所のうち、小千谷、長岡など16箇所には、孤立して住民が残ってい
    る。
    草島氏は、大量の山形炊き出し材料、鍋釜を積んで来てくれたので、
    避難してきている方々に、暖かい炊き出しをしようと準備を始めた。

    「炊き出しの場所は、高齢者が多く、荷物も持てずに、孤立していた地区からヘリコ
    プター
    で避難してきた方々にしよう!そして、メディアにも発信してもらい、炊き出しチー
    ムをどんどん
    入ってきてもらおう!!」と対策本部と打合せをした。

    ●おばあちゃんの涙
    地震の恐怖は、震度では浮ケない。
    到着してから震度6の地震が2回あったが、「ゴゴゴゴー」と山がうなるのは、
    台湾大地震の時の余震と似ており、かなり激しく揺w)すられる。

    炊き出しの準備は、被災した女性達が、すぐに参加してくれて、
    山形の芋煮のような豚汁「げんき鍋」が出来た。
    おばあちゃんは、涙を流していた。
    「暖かい食べ物は初めてです。のどを通るし、少し落ち着きます・・・」

    神戸の時も、一緒に泣きながら、活動をしていたことを思い出す。
    暖かい食べ物を食べれること、無事のこと、話をするだけでも、落ち着く。
    「山形、神戸、東京からも応援に来ています!」

    その言葉に、少し笑顔が戻った感じである。
    「いつ、家に帰れるのだろうか?」
    本当に先は、長い。

    明日以降の野菜や肉など、食材の調達が必要だ。
    緊急支援物資は、おにぎりや乾パン、弁当、菓子パン、米、水が多く、
    炊き出しに使える野菜やコンロ、ガスなどは、あまりない。

    炊き出しの道具一式を小千谷高校に避難している被災した方々に寄贈し、
    支援が少ない地区を調査で車に積んできたオフロードバイクで廻り始めた。
    小千谷市は、マスコミから取り上げられているので、支援が集まりやすいという
    状況が卵zされるからだ。神戸でも同じケースがあった。

    もちろん、余震で発生する倒壊家屋からの救出用にチェーンメ[を持って廻った。
    家に戻って家財道具を運び出すときに、生き埋めになるケースがある。

    土砂崩れで孤立していた山古志村は、全員ヘリコプターで避難したので、
    入る事はできない。
    川西町、川口町を廻るが、川口町の被害率は凄く高いように見える。
    川沿いの為に、液状化でかなりの家が全壊し、道も波打ち、やはり物資の入りも
    少ない。

    町を走る国道17号線は、昨日から土砂崩れの危険のため通行止めに
    なっている。117号線は、崩落での段差が1メートルもあり、とりあえず
    砂利でスロープを作っているが、トラックの通行は危険だ。
    しかし、そんな中、物資を持って、自転車や歩きで小千谷市に向かう
    方々が見え始める。

    人々は迂回しながらも、数時間歩いて来ている。
    「人を助けたい」
    という目が生きている。

    ●ボランティア情報
    新潟県の被災各地では、とりあえずのボランティア視u刀E黹Zンターや
    電話番号を載せて発浮オてしまい、「電話で確認してから・・・」と
    新聞にも載ってしまった関係で、電話がパンク状態である。

    昨日、小千谷社会福祉協会で、社協スタッフ、行政担当者、
    小千谷青年会議所、震災がつなくネットワーク、県外からのボランティア、
    地域の方々と会議があり、立ち上げに向けて調整した。
    新潟三条や中ノ島でのボランティアもかけつけた。

    その中で、小千谷以外でのボランティアセンターの上記の現状を話し、
    電話をしないでも現地に来れるような準備を始めようと提案をした。
    やはり武器はインターネットのホームページである。

    新聞に問合せの電話番号を載せるのではなく、HPアドレスを載せて
    見て来てもらう方法で必要なページをそれぞれ印刷し、ホームページ
    が見れない人には、いつ情報と記載して、FAXで仲間にも転送し
    現地に入ってもらうのだ。

    現地までのアクセス、装備、持ち物、ニーズなどを出来るだけ情報更新して
    発信してゆく。物資ニーズや装備も日々変化してゆく。
    そして今、その調査、発信ホームページ担当者、コーディネーターが必要で、
    炊き出し班も必要だ。

    小千谷青年会議所の宮崎理事長は、「私も仲間も被災しているが
    動いて、全国の青年会議所にも発信していかなくては!」と言った。
    しかし、電気が止まっているので、HPの発信も出来ないので、どうゆう
    方法でやろうか?コンピューターもうまく作動するか?と不安だ。

    鳥取西部地震での青年会議所の動きを説明した。
    公費で解体費用が出ない余震で崩れてゆく納屋や塀を仲間の重機や
    ダンプでどんどん撤去して、ローラー作戦で地域のニーズを拾い、行政が
    やるべくと言われる仕事を民間でやっていった。外部からもHP支援者の
    情報班も来た。

    そして現場では、慣れている人が屋根にも登り、シートを次々とかけていった。
    「ボランティアが乗ってきたバスで看護士を乗せて、銭湯や温泉に
    被災者を連れて行きましょうよ。疲れている高齢者、腰痛の方々
    のマッサージボランティアも必要ですね、散髪の床屋支援も
    後日ほしいですね・・・」とイメw)ージも膨らます。

    長期戦の支援にはいろんな方が参加できる。
    子どもの遊び相手も大切です。

    ●私は今、長岡まで出てきてエアエッジで繋いでメールを発信している。
    小千谷で発信しようにも、繋がらない。携帯もお互いにつながりにくい。

    前のメールで沢山のメールをもらって本当に、勇気付けられている。
    ありがとう!!このメールを見て、またアイデア、支援希望があれば、
    再送してください。出来るだけ、順次返事を書いてゆきます。

    返事が遅れそうですが、まもなく小千谷のHPが決まったら、チェックしてほしい。
    21日未明の豊岡洪水から家を出て、車での生活も6日目になり、
    疲労もたまって来たが、被災者の心労はすごいものだ。

    実は、まもなく地雷撤去撤去プロジェクト関係でカンボジアに入る嵐閧ェあり、
    どうしても一度、神戸に戻らなくてはならない。
    しかし、11月初めにまたすぐに現場に戻る。

    神戸の時と同じようにいろんなプロジェクトを考えてゆきます。
    今から、また通信が出来ない山間部へ入ってゆきます。

    よしむらせいじ@長岡より

    カンパのお願いですみませんが、やはり動く為に、必要です。
    【長期プロジェクトの為、ご協力よろしくお願いします】
    郵便振替口座 00980−7−264796
    「ヒューマンシールド神戸」宛までお願いいたします。

    通信欄に「新潟地震」、「洪水支援」など匿名の有無、
    連絡先などをお書きください。

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